映画『ルーム』・『ガール・イン・ザ・ベースメント』の基となったフリッツル事件の詳細

フリッツル事件は2008年、エリーザベト・フリッツル(1966年4月6日生まれ)という女性が、父親であるヨゼフ・フリッツル(1935年4月9日生まれ)に24年間監禁されていたとニーダーエスターライヒ州アムシュテッテンの警察に証言したことで発覚しました。

虐待の結果、7人の子供が生まれています。そのうち3人は母親と一緒に監禁されたままであり、1人は生後間もなく死亡し、フリッツルによって火葬されたということ。

ヨーゼフ・フリッツルは強姦、虚偽監禁、過失致死、近親相姦の疑いで逮捕。2009年3月、彼はすべての罪状を認め、終身刑を言い渡されました。

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フリッツル事件の概要

フリッツル事件の概要

ヨーゼフ・フリッツルの家系

ヨーゼフ・フリッツルは1935年4月9日に生まれました。1956年の21歳の時に17歳のロゼマリアさんと結婚、エリーザベトさんを含む2男5女を儲けます。

エリーザベトさんは1966年に生まれ、ヨーゼフの虐待が始まったのは11歳の頃だったということ。

エリーザベトが17歳で家から逃げるも…

エリーザベトさんは15歳で義務教育を終えるとウェートレスの教育を受けますが、1983年1月の17歳になる年に家から逃げ出し仕事仲間と一緒にウィーンに隠れて生活をしていました。

しかし家出から3週間ほどで警察に見つかって家に引き戻されています。その後またウェートレスの訓練を再開し、オーストリア オーバーエスターライヒ州の州都であるリンツ近郊で仕事に就きます。

悪夢のはじまり

1984年8月29日、ヨーゼフは一緒にドアを運んでくれとエリーザベトさんを地下室に誘い出しました。

エリーザベトさんがドアを支えてヨーゼフがドアをはめ終わると、ヨーゼフはエーテルをしみこませた布を彼女の顔に押し当て、意識がなくなるまで抑えつけ、そのまま地下室に閉じ込めてしまったのです。

そのドアがエリーザベトさんを監禁するための最後のアイテムで、悪夢のはじまりだったと思われます。

無理矢理手紙を書かせる

エリーザベトさんがいなくなったことに気付いた母親のロゼマリアさんは、警察に失踪届を出しました。それから1週間後、ヨーゼフがエリーザベトさんに無理矢理手紙を書かせ、それを警察に届けたのです。この手紙はエリーザベトさんが家出した時に住んでいたリンツのブラウナウ・アム・インの消印になっていました。

内容は、家族に嫌気がさし今は友達と一緒だということ。そして両親が自分を探すなら国を出るとも書かれていました。

ヨーゼフはエリーザベトさんが狂信的なカルト集団に入ったかもしれないと語っていたそうです。

監禁後数日間必死の助けを求めた

監禁されたエリーザベトさんは、最初天井を引っ掻いたり壁に体当たりして抵抗を試みていました。そのため爪は剥がれ、痛みに苦悶しながら助けを求めていたそうです。

孤独と苦痛に耐え楽しい想像をして

エリーザベトさんは監禁後数日して気持ちを切り替え、休みの日にハイキングしていると思い込もうとし、記憶の中の山を想像しながら頂上に辿りつくまでのことに考えを巡らせていました。

地下室の階段を山の傾斜とし、夜になると電気を消して時間が経つと朝になることを思いながら電気をつけていました。

そして眠りに就く頃はオーストリアの古い賛美歌「Still, Still, Still.」を口ずさみながら寝たと証言していました。

3日に一回訪れ性的虐待を…

エリーザベトさんの父親であるヨーゼフは、24年間の監禁の間3日に1回訪れて、食料や日用品を補給し、嫌がるエリーザベトさんに性的虐待を加えていたようです。

更にエリーザベトさんはヨーゼフの子供を7人出産していることも明らかになりました。1人目の出産は生まれて間もなく死亡し、リザ・モニカ・アレクサンダーの3人は幼児期に自宅のドアの前に置かれていたようにヨーゼフが見せかけ、養子としてヨーゼフと母親のロゼマリアさんが育てました。

その間にソーシャルワーカーが何度もヨーゼフ宅に訪れていましたが、ヨーゼフはもっともらしい作り話で納得させたうえ、不満や不自然さが微塵も感じられなかったと当時の担当者は証言していました。

5人目の子供が生まれた時、ヨーゼフはエリーザベトさんと子供のために地下室の拡張工事を行っています。更にテレビやラジオ、ビデオなども買い与えました。

冷蔵庫やホットプレートもあり、食料を保存して調理できる環境も作ったようです。

ヨーゼフが与えた罰

エリーザベトさんは生まれた3人の子供たちに読み書きを教えていたそうです。しかしヨーゼフの意にそぐわない行動などをすると、何日も部屋の電気を消したり食料の供給を断つこともありました。

エリーザベトさんと子供たちが脱出を企てた時は、ガスで殺すつもりだったと供述していました。しかし地下室にガスは引いておらず、ただの脅迫である可能性が高かったようです。

また、ドアに近づくと電気ショックで死ぬと脅しており、逃げられないように洗脳していたことも明らかになっています。

地下室に行くことは誰も許されなかった

ヨーゼフは毎朝9時になると、機械の図面を書く仕事をするために地下室に行ったそうです。しかし妻のロゼマリアさんがコーヒーを持って行くことも許されていなかったということ。

家の1階を12年間借りていた人がいましたが、地下室から声が聞こえると訴えると、ヨーゼフは暖房の機械音だと誤魔化していました。

ヨーゼフの逮捕とエリーザベトや子供たちの発見

ヨーゼフの逮捕とエリーザベトや子供たちの発見

長女のケルスティンが重い病気に

2008年4月19日、エリーザベトさんの長女であるケルスティンさんが意識不明になり、ヨーゼフに医者に連れて行くことを懇願しました。ヨーゼフはそれを認め、ケルスティンさんを運ぶのを手伝ったエリーザベトさんは24年ぶりに外の景色を眺めました。

しかしエリーザベトさんはすぐに地下室に連れ戻され、ケルスティンさんは救急車で病院に向かいます。診断の結果ケルスティンさんは命に関わる重篤な腎不全とされ、入院を余儀なくされました。

医師が警察に通報

その後ヨーデルがエリーザベトさんが書いたとされるノートを持って病院へ到着します。ケルスティンの病状やノートについてアルベルト・ライター医師とヨーデルが話し合いました。

しかし医師はヨーデルの説明に矛盾を感じ、4月21日に警察に通報しました。

ヨーゼフがエリーザベトと息子たちも解放

アルベルト・ライター医師はその後メディアを通してエリーザベトさん行方不明に関する情報の呼びかけをし、ケルスティンさんの病歴に関する情報も呼びかけます。

警察でもエリーザベトさんの失踪事件の捜査を再開。この事に対してヨーゼフは、エリーザベトさんはカルト宗教の狂信者であり、彼女からの手紙はケマテンから投函されたものだと証言します。

警察ではこの証言に基づいてカルト教団と噂される団体を調べますが、事実とは異なっており、手紙の内容も自身で書いたものではなく、書かされているような内容であることが判明。

一方このニュースを地下室で見ていたエリーザベトさんは、ヨーゼフに病院に行かせてくれるよう頼み込み、ケルスティンさんが入院してから1週間後の4月26日に、残された2人の息子シュテファンとフェリックスと共に地下室から解放しました。

ヨーゼフとエリーザベトが警察に連行

地下室からエリーザベトさんたちを解放したヨーゼフは、妻にエリーザベトさんが自宅に帰ることを決意したようだと話しました。その後ヨーゼフとエリーザベトさんが病院に向かいます。

アルベルト・ライター医師は、エリーザベトさんとヨーゼフが病院にいることを警察に知らせました。それを受けた警察は2人を拘束し尋問を受けさせるために警察に連行しています。

エリーザベトは2時間で24年間の監禁生活を語る

尋問を受けたエリーザベトさんは、トラウマを抱え最初は尋問に応じませんでした。その後警察が「父親とは二度と会うことはない」と約束し、初めて重い口を開きました。

彼女は2時間で、まるで押し殺していた感情が一気に噴き出したかのように、24年間の監禁生活の全てを語ったのです。

その後ヨーゼフは、家族に対する不法監禁、近親相姦等、強姦、過失致死などの重罪の疑いで逮捕されることになりました。

フリッツル事件の動機を探る

フリッツル事件の動機を探る

ヨーゼフ・フリッツルの生い立ち

フリッツル事件のような異常な事件には、犯人の生い立ちなどが深くかかわることがあります。このような異常な人格はどこから生まれたものなのでしょう。

ヨーゼフ・フリッツルは、1935年4月9日にアムシュテッテンで生まれています。父親であるヨーゼフ・フリッツル・シニアは、ヨーゼフが4歳の時に家族を捨てて出ていき、2度と会うことはありませんでした。後に第二次世界大戦で1944年に戦死していることが判明しています。

そのため、ヨーゼフは仕事を持つ母親マリア・フリッツルの一人っ子として育てられます。

HTL工科大学で電子工学を習得した後、リンツの鉄鋼会社で働きます。1956年にロゼマリアと結婚。

ヨーゼフの犯罪歴

1967年に既婚の看護師の喉にナイフをあてて脅しながら強姦し、次に21歳の女性も強姦しようとして未遂に終わりました。その後逮捕され、懲役18カ月の判決を受けました。

ヨーゼフ・フリッツルは反社会的性格

生い立ちからも伺えますが、父親が4歳でいなくなっていることや、母子家庭ということが犯罪者の顔を作る引き金になっているかもしれません。しかし生まれつき犯罪者の要因を持ってくる人間もいるようです。

どちらが正しいということはわかっていませんが、ヨーゼフ・フリッツルは間違いなく反社会的性格と言えるでしょう。そしてフリッツル事件の動機ではないでしょうか。

ヨーゼフ・フリッツルは、2009年3月19日に15年間の仮釈放を認めない終身刑となり、ヨーゼフ自身も罪を認めて控訴はしていないようです。

現在はオーバーエスターライヒ州にあるガルステン刑務所の、精神疾患犯罪者専用の特別区画に収監されているということです。

被害者であるエリーザベトや6人の子供のその後や現在は?

被害者であるエリーザベトや6人の子供のその後や現在は?

様々な病気の治療で長期入院が必要

エリーザベトさんと6人の子共、そして母親のロゼマリアさんは、警察に保護ざれた後地元の病院に入院し、外の世界から守られて肉体的、精神的な治療を受けました。

地下に監禁されていたエリーザベトさんと3人の子供たちは、日光に浴びる機会が奪われていたため、とても顔色が悪く日差しに耐えられない様子でした。またビタミンD欠乏症で貧血だったそうです。

免疫にも異常が見られ、未発達であることも判明。家族は数か月の入院治療が必要で、エリーザベトさんと最後まで地下にいた子供2人は、光に慣れるために更に治療が必要であると判断されました。

24年間の監禁場所がコンクリートで埋め立て

2008年5月、入院しているエリーザベトさんと家族が作ったポスターが役場に掲示され、町民の方への感謝の言葉を綴っていたということ。

2006年6月にはケルスティンさんが家族と合流し、昏睡状態から目覚め完全に回復したことが知らされています。

2008年6月21日には、24年間監禁場所となっていた地下室が、コンクリートで埋められる作業に入りました。

「私たち家族全員は、私たちの運命へのあなたたちの同情に対して感謝をしたいです」
「あなたたちの慈悲は私たちが難しい状況を克服するのに大きな力になっています。そして、ここには私たちのことを本当に心配してくれる親切で正直な人がたくさんいることが分かりました。私たちは、私たちがすぐに通常の生活に戻れる道が見つかることを願っています」
出典:フリッツル事件 – Wikipedia

裁判後のエリーザベトと子供達

裁判後、エリーザベトさんと6人の子供たちは、オーストリア北部にある小さな村に移り住み、静かに暮らしているそうです。

地下暮らしをしていなかった3人の子供たちは、エリーザベトさんから捨てられたという話が嘘だったことや、母親のエリーザベトさんや他の3人の子供たちが祖父だと思っていたヨーゼフから虐待を受けていたことなどを、初めて知った衝撃は計り知れないものでしょう。

また、近親相姦で生まれていることから、子供たちには共通の遺伝的疾患がありました。そのため医療的な治療や精神的な治療を今後も受けていくこととなります。

そしてエリーザベトさんも、24年間の過酷な環境で生活したために患ったPTSDの治療も長く続くこととなります。

被害者たちの現在

被害者たちの現在

エリーザベトさんと母親のロゼマリアさんの仲は、エリーザベトさんの心が未だ開くことはありませんが、階上で育てられた3人の子供たちとの定期的な接見は認めているということです。

2009年6月には、エリーザベトさんがボディガードを務めていたトーマス・Wさんと一緒に住んでいることが、オーストリアの新聞で発表されています。

フリッツル事件の詳細【まとめ】

・エリーザベトさんは1966年にヨーゼフ・フリッツルの子供として生まれ、11歳の頃からヨーゼフに虐待されていた。

・ヨーゼフは1984年から24年間エリーザベトさんを自宅の地下室に監禁し、3日に1回食料を補給し性的虐待をくわえていた。

・エリーザベトさんはヨーゼフとの子供を7人出産しており、長女が重い病気で入院を余儀なくされた際に、不審に思った医師が通報したことでエリーザベトさんの失踪事件が再捜査されることとなった。

・エリーザベトさんが病院に行きたいと懇願したことで、エリーザベトさんや子供たちは解放され、ヨーゼフと病院にいるところを警察に連行された。

・ヨーゼフは不法監禁、近親相姦等、強姦、過失致死などの疑いで逮捕され、終身刑の判決を受けている。

・エリーザベトさんや子供たちはその後入院や治療が必要になったが、裁判後はオーストラリアの小さな村で静かに暮らしている。

フリッツル事件について詳細をまとめてきました。その概要は凄惨なもので、24年間の監禁生活と近親相姦によって7人もの子供を出産させられたエリーザベトさんの心中は計り知れないものでした。現在は寄り添える男性と一緒に暮らしているということですが、一日も早く心身が回復することを願うばかりです。

フリッツル事件が基となったドラマや映画を紹介

『ルーム』

レニー・アブラハムソン監督、エマ・ドノヒュー脚本による2015年のドラマ映画で、彼女の2010年の同名小説が原作。主演のブリー・ラーソンは、7年間監禁されていた若い女性を演じ、5歳の息子(ジェイコブ・トレンブレイ)は監禁中に生まれました。彼らの脱出により、少年は初めて外の世界を体験。この映画にはジョーン・アレン、ショーン・ブリジャーズ、トム・マカマス、ウィリアム・H・メイシーも出演しています。

カナダ、アイルランド、イギリス、アメリカの合作で、トロントで撮影され、その名を冠したセットはパインウッド・トロント・スタジオで作られました。部屋のセットの各パーツは、クルーが出入りできるように取り外しができるように設計されています。ラーソンは自分の役のためにトラウマと栄養について研究したそうです。

2015年9月4日に第42回テルライド映画祭でプレミア上映、2015年トロント国際映画祭で上映され、ピープルズ・チョイス賞を受賞しています。カナダでは2015年10月23日にエレベーション・ピクチャーズから、イギリスとアイルランドでは2016年1月15日にスタジオカナルから劇場公開されました。アメリカでは2015年10月16日に限定劇場公開が始まり、2016年1月22日にはA24によってこれまでのワイド展開が始動。映画は批評家から絶賛され、特にラーソンとトレンブレイの演技とストーリーテリングが高く評価され、1300万ドルの予算で3630万ドルの興行収入を記録しています。

今年最高の映画のひとつに挙げられた『ルーム』は、数々の賞を受賞しました。第88回アカデミー賞では、作品賞を含む4部門にノミネート。作品賞を含むカナダ・スクリーン・アワード9部門、作品賞を含むアイルランド・フィルム&テレビジョン・アワード7部門を受賞。ラーソンはアカデミー賞、ゴールデングローブ賞、BAFTA賞の主演女優賞を受賞しています。

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『ガール・イン・ザ・ベースメント』

フリッツる事件を忠実に描いているスリラー映画。父親による少女監禁事件を基に描かれています。上記で説明している『ルーム』のヒントにもなっています。

18歳なった娘を24年にもわたり監禁し、性的虐待から6人もの子供を産ませました。その壮絶な監禁生活を見事に描いています。見ていて気分が悪くなることもあるかもしれませんので、注意してご覧ください。

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